ADHD&シェーグレン症候群ですが支援者です

障害&難病持ちの日常のふりかえりのひとりごと

特性→被虐待→嫌な子供

子ども時代にあった虐待

「橋の下で拾ってきた子」と母に言われ、本当のことだと思い、布団をかぶって大泣きしたのはたぶん3歳くらい。

大泣きする私に驚いて、へその緒を見せながら「私の子」と言った。

3歳の私は混乱してますます泣いた。

頭が痛くなるまで泣いた。

大人になった時、母に上記のエピソードを話すと、「こっちは冗談なのにあんたが本気にして大泣きしたから。」と言う。

40半ばで心身症と診断されたとき、主治医に虐待のこと母に謝ってもらう方がいい、と言われ、意を決して伝えてみた。

返ってきた言葉は謝罪ではなかった。

「あんたが悪いことばっかりするから。」

私はさらに傷ついた。

母は、自分の非を認めないし、自分は悪くない、は変わらない。

もし定型発達だったのなら

もし、私がADHDではなかったら、私は虐待されなかったかもと思う。

また、生まれた順番も悪かった。

第一子だったので、下の子と喧嘩しようものならすべて私が悪者となり母に怒られた。

スーパーでレジを通さずに物を持って帰ってくるなど、私の行動は突拍子もなく、母の想定外のことをするので、怒られたんだと思う。

自分は悪いと思っていないので、何が悪いかわからないまま、「ごめんなさい、もうしません。」を繰り返した。

すると、「口ばっかり。」と言われた。

私の何がいけなったのか、私に説明してくれれば私は怒られる回数が減ったかもしれない。

嫌な子ども

母にとって「悪いこと」をすると、叩かれたり、押し入れに閉じ込められたり、着物を着るときのひもで両手を縛られたことがある。

自分がやられたことは覚えているけど、何が悪くてそうなったかは覚えていない。

怒られるのが嫌だから「うそつき」になった。

団地の4階から電池で散歩する犬を落としたらどうなるかと思い、落して壊したことがある。

そのとき、私は「落ちちゃった」とうそをついた。

鉄でできたミニスコップをもと合ったところに戻すのが面倒で投げて戻そうとしたら窓ガラスを割ってしまったことがある。

「手からすっぽ抜けた」とうそをつた。

私はこどものころの自分が好きになれない。

怒られてばかりだし、嘘つきだし、子どもの私は嫌な奴でしかなかった。

母のせいで

でも、これって自分のせいではなく母のせいだと思いたい。

母が特性のある私をうまく育てられなくて嫌な感じの子になってしまったんだと思う。

私は親になったら反面教師にしてやると心に誓っていた。

自分の子だから特性のある子が生まれるだろう、それでも、虐待はせずに育てたい、そう思っていた。

しかし、長女については虐待まがいのことをしてしまった。

3歳くらいの時、わがままが過ぎる長女を窓から外に出したことがある。

クラスメートに恐喝まがいのことをしたと知り、思わず平手で頭の側面あたりを張り倒し、1メートルくらいとんだのは、長女が小1の時のこと。

私が覚えているのはこの2回。

長女が、3人の子の中で一番育てにくさがあった。

今思えば1歳半検診で専門の相談を受けませんか?と言われたとき、突っぱねないで相談できていたら、結果は違っていたかもしれない。

虐待の連鎖を断ち切るには、その家庭に親身になって支援してくれる誰かが必要だと強く思う。