ADHD&シェーグレン症候群ですが支援者です

障害&難病持ちの日常のふりかえりのひとりごと

レイノー現象

初めてレイノー現象が自分に起こったのは6年くらい前。

この時はまだ「レイノー現象」という言葉をしらず、指が急に真っ白になり動かしづらくなり、なにこれーっ!!て驚いたことを覚えている。

真冬だったし、寒すぎてなったんだろうと予測はできた。

でも、予測どまりでそれ以上何か、ってことはしていなかった。

この名称を知ったのは、診察時だった。

 

高血圧と更年期症状等、不定愁訴の症状改善のために定期受診している漢方医にみてもらったとき、たまたまレイノー現象がおきていた。

それを見た漢方医がこれはレイノー現象ということを教えてくれた。

そして、かいろで指を温めてくれたのだけど、戻りがかなり悪くてこれはひどいね、なんて言われてしまった。

6年くらい前にレイノー現象が起きたときは、気にならない頻度だったが、偶然みつけてもらえたこのときは、実はこの現象に困っていた。

この現象に名前がついたこと、対処法がわかりほっとした。

体を冷やさないことと、ストレスをためないことが大事ということで、体を温める漢方薬が処方された。

実は、これを飲んでもあまり変化を感じられなかった。

しかし、飲まないよりはましかもと飲み続け、春になると別の漢方薬を飲んでいた。

その繰り返しだった。

 

そして、ストレス、という言葉でピンときた。

6年位前、職場がストレスフルだった。

生意気な新人、その新人をひいきし、私に理不尽な指示を出し、それについて上司に言っても何もしてもらえず、私は休職に追い込まれた。

ぶっちゃけ今でもやつらを恨む気持ちは消えてない。

だって、私はもう少しその職場で働きたかったからだ。

まだ支援を続けたい家庭があったから。

でも、医師に反対された。

ストレスのある職場に戻るのはあなたのためにならない、と。

確かに、そこにずーっといたいわけではなかった。

スクールソーシャルワーカーになるために、児童福祉を一通り知りたかったからその職場を選び働いていた。

そして、同僚にも、十分経験積めたと思うよ、スクールソーシャルワーカーになれるよ!と背中を押してもらい、晴れてスクールソーシャルワーカーになった。

今となってはあのときの選択に後悔はない。

でも、あの性格の悪い人たちのことは許す気にはなれない。

 

2年ほど前、栄養医学を知人から教えてもらう機会があった。

図書館で本を借りて読んだり、ネットで検索したりして、栄養医学の考え方にざっくりと沿う感じで始めてみた。

プロテイン、鉄分、マグネシウムナイアシン亜鉛、ビタミンC・Dを飲んでいる。

おかげで、頻度が減った気がするし、何よりうれしいのが、なっても戻りが良い。

白い状態が長いと違和感に気持ちが落ち着かないのだ。

本で読んだとおりの量は飲めていないが、それでも効果を感じられる。

レイノー現象に悩む方いたら、栄養療法、試す価値ありだと思う。

三連勤でダウン

シェーグレン症候群と診断されてからは、

とにかく無理しないようにを心掛けてきた。

連勤しないよう、仕事を月、水、金にまとめるようにし、

火と木はしっかり休息&リフレッシュするようにしていた。

が、ここへきてばたばたしている。

今まで特に私がかかわる必要がなかったお子さんが、

急に不登校になって家庭訪問しなくてはならなくなったり、

今まではSCにかかわってもらってたから私は間接支援していたところ、SCとのつながりが切れ、私が直接かかわることになったり。

そういった、イレギュラーな仕事を空いている日に入れるしかなく、過日久々の3連勤。

世の皆様にとって連勤は当たり前だけど、発達障害&シェーグレン症候群の私は、連勤は体がもたない。

連勤三日目は、10時過ぎに寝て翌朝10時近くまで寝ていた。

相当疲れていたらしい。

スクールソーシャルワーカーという仕事は心の底から大好きで続けたい、が、今の勤務先は遠くて体がもたない、と感じている。

だからといって、住んでいる自治体でこの仕事をするのはちとためらう。

ちょっと買い物行ったとき、うっかり相談者さんに会ったらやだな、って思ってしまう。

ああ、悩ましい・・・。

そして、来週はまさかの5連勤、の後の週末は法事で実家に帰らねばならない。

5連勤できるのか?そして週末実家に帰る元気は残っているのか?

不安ばかりが募る・・・。

40,50で周りになじむ

先日、発達特性にあるお子さんのケース会議に出ていた時のこと。

参加者さんのお一人から、

「そのお子さんの主治医が、特性のあるお子さんがなんとなく周りと馴染んでやっていけるようになるのは40,50歳くらい」

とおしゃっていたよ、という発言があった。

私は「わかる~」と大きな声で同調したかった、

が、職場で自分のADHDをオープンにしていないので言えなかった。

 

私は50過ぎて晴れてADHDと診断されたのだけど、

そのずいぶん前から自分の特性を疑っており、

ADHDについていろいろ学ぶ中で、自分が取り入れられることはやってきた。

その上で、最近になってやっと、

「私、だいぶ年齢相応になってきたかな?」

と自分で思えるようになってきたところだったのだ。

 

私は衝動性があるので、行動に落ち着きがない。

やりたいが先立つ。

これが良い結果に結びつくこともある。

社会福祉士を取得できたのは、この勢いがあったから。

年齢相応の冷静さがあったなら、

娘の大学受験の年に、自分の社会福祉士の受験をバッティングさせないと思う。

現に、夫にはなんで1年ずらさなかったのか、とあきれられた。

 

私は職場の管理職一人だけにADHDをカミングアウトした。

そのとき、「特性があるように見えない」と言われた。

その職場には、私が言いそうなことやりそうなことをするA先生がいて、

A先生もADHDっぽい、診断はつかなくとも、濃いグレーだと思う、

とその管理職に伝えると、ものすごく納得してもらえた。

そして、それまではその管理職は、

なんでA先生ってあんなことするのかな~?って思ってたけど、

しょうがないか、って思えるようになった、と、話してくれた。

大人の発達障害を本人が自覚しなくとも、

理解のある周りを作っていくことで穏やかな職場となっていく、

それを学べた職場だった。

 

ちっちゃなことで思考がぐるぐる

決まってないことを決めることが苦手。

例えば、外食も普段の食事も、何を食べようか決められない。

なので、例えばスーパーにお惣菜を買いに行くと、

私が買うものを決めてくれるのは値引きシール。

値引きシールがついているものを手に取り、

食べたくない、と思わなければそれが私の夕飯になる。

 

仕事帰りに外食することもよくあるのだけど、

そのとき株主優待を持っていたらその中で決めている。

某牛丼屋に行くことが多く、過日は優待を持っていた上に、

店の前を通り過ぎるとき、肉増量無料キャンペーン!のぼりが目に入り、

Uターンして店に戻った。

 

食べ物に関してはこんな感じでなんとか決まっていくし、

なんだったら、ま、いっか、と食べない日もある。

朝ごはんは、朝から悩むのが嫌というのもあり、

ずいぶん前からプロテインとコーヒー、

あれば、バナナやミカンなどの果物とゆで卵。

50を超えたおばさんなので、昼食か夕食どちらかをしっかり食べれば、

もう一方は食べなくても特に支障はないと思うし、

なんだったら食べないくらいがちょうどいのかも、とも思っている。

 

困るのが、どうしてもしなきゃということでもないけど、

した方が良かったり、したいけどいつのしよう、みたいなことが

なかなか決められなくて思考がぐるぐるする。

私は定期的に受診をしているのだが、いつにするかが決められない。

ネット予約なので受診後次を予約するのだが、

仕事入るかもしれないからな~、から始まり、

仕事入るの夕方が多いから午前に予約する?

でも、午前って冬は寒いからできれば午後がいいな~

午後一にするかな?でも、せっかくのあったかい時間布団干したくなるかも?

じゃあ、寒いの我慢して午前予約?

朝一がいいかな?あ!そうすると駐車場いっぱいかもだから、早めに行く?

やっぱ寒いから早めに朝は嫌・・・

と、思考がぐるぐるしゴールにたどり着かず、予約は後回し、となる。

この考えている時間が無駄、って思うし、疲労感もあって、

ため息をつきたくなる。

 

先日は、孫に会いに行くかで思考がぐるぐるしていた。

病院にいくため仕事を入れなかった平日に、

孫に会いたい、でも、家で仕事もしたい、あ!図書館も行きたいんだっけ、

洗濯もしたかった、買い物もいきたかったな~、あ!ネイル予約してた!

どういう順番で行くのがベスト?

あ~どうしよう・・・

と、めっちゃ悩んだあげく、

お昼どきの1時間だけ孫のところへ行くことにしたのだが、

やっぱり疲れたし、なんでサクッと決められないんだろ、

と自分の特性にため息が出た。

こんな時の良い方法はまだ見つけられていない・・・(涙)

 

趣味のスポーツでブチ切れる

私の住む自治体にはバルーンバレーと言うスポーツがある。

PTAが親睦を深めるために始まったニュースポーツなのだが、

できて30年は経つと思うので今となってはニューではない。

息子が小学生の時にこのスポーツに出合い、

それからずーっと細くい長く続けている。

私は特性からだと思うが、基本的に白か黒かの考え方。

スポーツをやっているときは全くの素なので、

感情をそのまま出し切っている。

それに、チームの仲間への好き嫌いもはっきりしていて、

特にしょっちゅうぶつかってくる男性Aは大っ嫌い。

守備範囲を超えて動き回り私にぶつかる。

とある日もぶつかり、私がよろめいて倒れそうになったのをAが腕で支えてきた。

そいつが嫌いじゃなければありがとうなんだけど、

大っ嫌いだから気持ち悪いし、勝手に人の体さわんな!って感じ。

さすがに声には出さなかった、はず、だが、もしかしたら出てたかも。

その大っ嫌いなAの嫌なところはまだある。

主審をしているときちゃんと見てない。

この前は誰が見てもドリブルなのに、試合を止めない。

むかつきすぎて、

「あんなあからさまなドリとらないなんていらいらすんだけどっ!!」

と、超でっかい声で叫びながらブチ切れていた。

そして、チームメイトになだめられた。

そして、こういうとき、またやっちまったな・・・

と反省するのだけど、大っ嫌いなAなので後悔無し。

Aが悪い!と全面的に思っている。

今後、Aが参加する日は休んだ方が精神衛生上いいかも?

と思うくらい大っ嫌い。

ちなみに仕事上でも大っ嫌いな人はいるが

仕事の時は避けたりとかかかわらないようにしたりとか

嫌いだけどまあなんとかやっている。

たぶん、だれも私がその先生を大嫌い、なんて気づかないだろうと思う。

過日、発達障害の大人についての講座を受けた。

そのときの説明に、発達障害で知的に低くない大人は、

「健常の人」の着ぐるみを着て社会生活を営んでいる、だから傍からはわからない。

着ぐるみを長いこと着てるのは疲れる、だから発達障害の大人は疲れやすいんだ、

みたいな説明をしてくれて、めっちゃわかるーってなっていた。

そう、仕事の時は着ぐるみ着てる。

そして、バルーンバレーしてるときは着ぐるみは脱いでる。

バルーンバレーしているときは着ぐるみなんか着たくない。

Aさえいなければ、もっと楽しいのに!

と、ほんと、大人げない発言だけど、この思考傾向も特性なんだと思う。

 

難病連の交流会

勘違いで参加表明

難病団体連絡協議会の交流会に参加した。

私は膠原病友の会の会員で

LINEグループに交流会のお知らせが出ていて手を挙げた。

が、実は勘違いからの参加表明だった。

私は別の団体の新年会と間違えていたのだ。

別の団体からも新年会のお誘いがきていて

そのチラシと雰囲気が似たちらしだったため

あ!行こうと思ってたやつ!と勘違いして申し込んだのだ。

あとからその行こうと思っていた団体のグループLINEにチラシが出て

あ!間違えた!どうしよう、難病連の方断ろうかな、

なんて考えていたら、膠原病友の会の会長さんから

参加表明ありがとう、私は開催場所から遠いから助かる、

と言われ、出ざるを得ない状況となってしまったのだった。

交流会に参加

入会して半年程度の私が参加していいものかと思いつつ参加。

難病連の会なので、みなさん何らかの難病を抱えた方々なのだけど、

こういったところに出られるくらい状態の良い方々が参加のよう。

自由席だったので困っていたら、

同じ会の人を見つけることができそのテーブルに座ることにした。

私の前には、ばっちり化粧、眉のアーチが美しい、

服装もきらきらした高齢の女性が座っており、

毎年夢を買う、と年末ジャンボの話をしていた。

当たったら何をしようか考えるのが楽しい、と、まずは車、そして家を買い替え…

当たったらみんなに大盤振る舞いする!と難病を患っているとは思えない明るさ。

けど、その後、実は胃を全摘していること、半年ぐらい前までは入院していて

やっと日常生活ができるようになって会に入会したことなどを話してくれた。

支え合いを体感

私は子どものころから冷めたところがあり、

交流会なんて時間とお金の無駄では?なんて若いころの自分なら考えたと思う。

今は、経験と学びからそういったことは必要とわかっているし、だから参加している。

そして、今回当事者として感じたのは

スクールソーシャルワーカー仲間や趣味仲間など、

自分と関心が共通する人との交流とは違いがあったということ。

こういった生きていく上でのハンディを持った人の集まりは、

言葉を交わさなくてもお互いがんばってるね、を伝えあえている気がした。

おかげで癒されたし、これからは病状が進まないよう努めて

できるだけ長く働きたい、って思えたし、

さらに、「支え合う」って言葉を久々体感できた気がしたのは

自分にとってとっても貴重な体験だった。

勘違いでの参加表明だったけど、行って、本当に良かった。

 

 

ブチキレる

後から考えると、そこまでブチキレる必要なかったかも?

といったことでブチキレることがある。

今までのブチキレ場面を思い出すと、

自分の思い込みやこうあるべき、の思いがあり、

それに反するときにブチキレていた。

ブチキレるのは数年に1回あるかどうかではあるが、

ブチキレたときはかなり後味が悪く自己嫌悪に陥る。

直近では、2年ほど前に不動産屋にブチキレた。

月極駐車場の仲介をしているA社の対応が気に入らなかった。

口約束ではあったが、〇番が空いたらそこを希望する、

と伝えてあったのに、事後報告で他の人に貸した、と言われたのだ。

一度連絡をくれてはいたが、その時はこの話はなく、

伝えたいことがあるから、とのことで、

その週のうちにまた私からかけることは伝えていた。

が、ばたばたしていて翌週にこちらから連絡すると前述のとおり。

私が先週のうちに連絡しないからだ、

と私が悪いような口ぶりに即沸点に達し電話口でブチキレ。

そもそも、急ぎじゃない、と言っていたから遅れてすみません、

と翌週電話したのだった。

だったら急ぎと言え!と言ったのだがあいまいな回答。

理由は忘れたが、私は結局不動産屋に乗り込んでまでブチキレていた。

そして、その後も怒りは収まらず、不動産関係や消費者相談、弁護士相談など、

思いつくところの相談窓口に相談したが納得した回答は得られなかった。

その駐車場は寺の敷地内にある駐車場でもともとは寺に支払いをしていた。

いつからか間に不動産屋が入るようになり、料金も上がった。

料金上がって対応も悪いなんてますます許せなくて、

こうなったら寺に直談判だ!と偶然電話に出た住職が穏やかに私の話を聴いてくれた。

私はやっとのことで落ち着きを取り戻し始めた。

結局1週間以上かけて穏やかさを取り戻したのだった。

だが、後から自己嫌悪に陥り、同じ失敗をしないために、

地元の発達障害者支援センターで心理士さんと今後の対策を練った。

 

若い時は夫に対してブチキレて、デートの途中で家に帰ろうとしたり、

新婚当初は家出をしたり。

最近もイラっとして信号赤で車を降りたくなってしまった。

が、今回は、とりあえず降りずにいられたし、

その後、そのイラっとポイントについて夫と話すことで、

自分にどんな思い込みがあったかに気づくことができた。

今回うまくいったのは、怒りを表出することで火に油を注ぐことになるかも、

という過去の経験から、表出をこらえることができたことが一つ。

そして、こらえられたのは、最近ゆるっと取り組んでいる

栄養療法が効いているのでは?と思っている。

ADHDの人が取り入れたほうが良い栄養素をサプリ等で飲んでいるのだ。

本当はプロテインは朝夕20g飲まなきゃだけど、朝しか飲んでなかったり、

ナイアシンナイアシンフラッシュが起こるので飲まない日も多いけど、

それでもなんか自分変わったな、って思える今日この頃。

もし、これ読んで栄養療法気になった人いたら、検索してみてくださいませ。