悲劇のヒロインをやめる
少し前まで
悲劇のヒロインモードだった
なんで私はADHDなんだ なんで私は膠原病なんだ
健康な人がうらやましい
健康だったらもっと充実した人生だっただろうに
そんな思考がいやおうなしに湧いてくる
止めたくても止められない
止めたくても止められない思考
それがADHD由来のものなのか
膠原病からの鬱症状なのか
それとも、更年期のうつっぽさなのか
今度は止められなさを考えて思考が止まらない 苦笑
なんて生きづらい私なんだろう
でも、そんな自分と上手く付き合っていくしかない
誰かをうらやんだり
生んだ親を恨んだところで事態は何も変わらない
感謝
これが「悲劇のヒロイン」スイッチオフのボタンだったのかもしれない
ふと、親に感謝してみた
私自身は生まれてきたことを肯定できない
でも、わが子の誕生は肯定したい
わが子の誕生を肯定するということは自分の誕生を肯定しないと始まらない
生んでくれたことに関してだけは感謝しよう
そう思ったら、気が付くと思考が前向きになった
不安が減って ワクワクに変わった
明日から新しい仕事に就く
きっと私にとってプラスになるはず
神様が与えてくれた新しいチャンスなのだから
ゴールを決めず、やれるところまでやってみよう
今はそんな気持ちだ
強皮症
5月のGW明け
特に何も問題は感じなかった
いつもと何ら変わらず出勤
ただ、違うのは、
その学校に行くのはまだ二度目
どこに何があるかもわからない
でも、先生たちはみな忙しそう
校内巡視でもするか
と、廊下を歩き始めた
5月の廊下はひんやりしていた
それが引き金だったのだと思う
激しい腹痛に襲われトイレにかけこむ
油汗がだらだらと流れるのに
両手の指はレイノー現象で10本とも真っ白
10本がレイノー現象になったのは初めてで驚いた
痛すぎてしばらく個室から出られなかった
やっと個室から出られたのはいいが
もう仕事できる感じがしない
周りの人も顔も白いよ、帰った方がいい、と
結局1時間早退し、気を遣わなくてすむ高速道路を使って帰宅
途中SAで仮眠取りながら
いつもなら1時間の道のりを2時間かかって帰ってきた
帰ってきてからどうやって布団に行ったか記憶がない
帰宅後リビングに倒れこんだのは覚えている
そして、三日寝込んだ
三日目の夕方やっと病院へ
前から気になっていた膠原病の個人内科
そこで「強皮症」を診断された
病名が増えたこと、かなりショックだった
長生きできません確定、みたいな気分になった
趣味のスポーツのグループに
いつか戻ろうと思って休会にしていたけど
さすがに諦めがつき、脱会した
できないことが増えていくのは
病気でなくても老いていけばだれしもそう
とはいえ、悪いところが多すぎて共存がつらい
もちろん私より重いご病気の方はたくさんいるだろう
そんなことはわかっている
けれど、なんで自分ばかり・・・と言う気持ちになる
もっと健康に生まれたかった
思うように働ける人生が良かった
でも、これは自分のせいだとも思う
いつ死んでもいいや
だいたいやりたいことはやったし
そもそも生まれたくて生まれてきたわけでもない
そんなことを思って生きているから
細胞たちがじゃあ長生きしなくていいんでしょ?
と、あの世への近道へ導いているんだ、きっと
みたいなことを考えた
あと、何年なんだろう
そこそこ好きなことができるのは
過日の日曜日も半日寝込んだ
もったいないよな
寝込まないからだが欲しい
涙が止められない
新年度初の勤務校で、3年目の付き合いとなる校長先生に校長室に呼ばれた。
てっきり、年度当初から心配なお子さんでも転入したかと思いきや
まさかの私に対する指示だった。
しかも、それは私には無理な内容だった。
私はなぜか涙が止まらなかった。
校長先生は「責めているつもりはない、私に伝え方が下手で申し訳ない」
と言ってくれたが、責められていると感じているせいとはっきりしているわけでもない。
話が終わって校長室を出た後も涙は止まらずすぐに職員トイレの個室にこもり、声をこらえつつ涙していた。
ただただ涙は止まらないし、その理由にラベリングできずもやもやだけが残り、
もう帰りたい、と思ったのは出勤してから15分も経っていないときだった。
早退しちゃおうかな、もうやめます、って言っちゃおうかな、
そんなことを思いつつ、とりあえず校内巡視をしてみた。
子どもの姿が目に入ると、もやもやが消えていき通常モードで行動できた。
切り替えがうまくなった。
そんなことを思いながら予定時間まで勤務した。
しかし、涙はまた襲ってきた。
結局次の日まで引きずった。
翌々日、運よくSCさんと話す機会があり上記のことを言語化でき、
それに共感してもらえた。
校長が変、とも言ってくれて、私は胸のつっかえが取れた思いとなった。
たぶん、理解されなさや理解してもらえているという期待が外れた、とか、
否定された、とか、自分は否定されることでものすごくしんどい思いする、
とかいういろんな思いがいっぺんに押し寄せて、
言語化できず心が壊れないように涙となって出てきたのかな?と。
今、漢方薬で感情の揺れを少なくできないかと試しているのだが、
効いているのか、効いていないのか、自分では判断が難しい。
前は服薬治療はしていなかったが、ちょっとしたことがあり服薬を始めた。
それに関してはまた後日。
でもま、服薬していたから、返らずに定時まで仕事できた、
と捉えとく方がいいように思うのでそういうことにしておこうと思う。
意欲の低下
意欲が低下している。
日中と朝晩の気温差に体がついて行けなくて体力を消耗しているからなのか、
8月3週間も海外で偽者セレブ生活を送っていたせいなのか、
ただ単にシェーグレン症候群の病状が進行してしまっているからなのか、
もしくは、栄養療法もどきが効いていて、年齢相応の落ち着きを意欲低下と感じてしまっているのか・・・
意欲が低下してるせいで、海外に行く前は細々続けていたチョコザップにも行けていない。
行く気が起きないし、動ける気がしない。
それに、眠気やだるさもあるが、仕事がある日は気力でこなしている。
今日は、立て替えていた施設使用料をもらうため、所属しているチームの練習が行われている体育館へ行くことになっていた。
しかし、午前中孫のお世話をしていたら疲れ切ってしまい、午後の早い時間は体を休め、16時半前に重い体を何とか起こして向かったのだった。
大好きだった趣味のスポーツ。
参加できなくてもいつでも顔出して、と言われていたが、
行くとやりたくなってしまうから、と思ってずーっと行かないでいた。
が、今日行ってみてわかったこと。
そうでもなかった。
実際、エアコンのない学校の体育館で、10分ほど立ち話しているだけで心臓の音がうるさくなった。
やばい、私の体大丈夫か?と不安になった。
それぐらい、私の体はひ弱になっているらしい。
そして、全くもって一緒にやりたい!って感情は湧いてこなかった。
自分でもかなり意外だった。
視覚情報優位なタイプなので、目に入るとやりたくなってしまうと思っていたのに。
私はこうやっていろんなことができなくなっていくんだな、
としんみりした気持ちになった。
そして、ますます意欲が低下していく感じがした。
明日の仕事もなんとなく行きたくない。
たぶん、行けばいつも通りこなすんだろうと思う。
それはわかってる。
それでも、この抵抗感は消えない。
これって、きっと不登校のお子さんたちと同じような心境なんだろうな、
そんなことを考えた。
とはいえ、ちょっと期待していることがある。
日本には四季がある。
秋になったら、涼しくなったら、気持ちも変わるかもしれない!
早く涼しくなってくれないかな。
あ!涼しくなってほしい、っていう欲は持ってた♪(笑)
口腔内と鼻腔内の渇きが進む
乾きすぎて寝れない
お米がおいしくない。
シェーグレン症候群となってしまう前は、最後の晩餐はほかほかおいしいお米と出汁のきいたお味噌汁、と思っていた。
しかし、ご飯は唾液と混ざり合って甘くおいしくなることに改めて気づいたのは、潤沢な唾液を失ったから。
約1年前、検査でガムを10分間噛んでも5ml程度しか唾液が出ない私だった。
今はたぶん乾きが進み、もっと出なくなっている感覚がある。
昨夜、人口唾液スプレーを使うのを忘れ、さらに水を飲むのも忘れて眠りにつこうとした。
すると、喉の奥の渇きが気になり、唾液を飲んで潤すということを反射的に行おうとしたが、そもそも唾液がないので飲み込むものがなく、うっ、とつっかえる感じ、とにかく不快で、その時やっと前述したことを思い出す。
しょうがない、寝室を出てとぼとぼと階段を降り、水を少し飲み人口唾液スプレーを使った。
その後、すんなり眠りについた。
鼻も不快
鼻の奥の渇きも最近は気になっている。
汚い話だが、鼻の奥に出したいものがこびりついてしまうようになった。
鼻をかんでも出てこない。
ティッシュをこより状にして突っ込んでみても奥過ぎてとどかないようだ。
なので、痛みを感じるぎりぎりまで鼻に水を吸い入れてかんでみる、をやってみる。
少しはすっきりするように思う。
そして、予防的に何かできないか、と考え、花粉症対策グッズで、粘着性のクリームを鼻の入り口に塗って花粉をキャッチする、みたいなのあったな、と思い出し、家にあるクリームで代用してみた。
すると、その日は割と快適に過ごせた。
以前は花粉症のときだけ行っていた鼻クリーム。
今後はずーっとやった方がよさそう。
めんどうだけど、やった方が楽そうだから習慣化するよう頑張ろう。
趣味のスポーツに復帰できそうにない
私の数少ない友人の一人は10年位前からマレーシアでリタイア生活を送っている。
同い年なのに、だ。
A子夫婦は自営業での資産形成に成功したのだ。
A子には二人お子さんがいるが、二人をインターナショナルハイスクールから日本の有名どころの私立大学に進学させた。
リタイア生活が始まった後にだ。
いったいどれだけの資産を作ったのだろう。
さすがにはっきりした金額は教えてくれなかった。
そんなA子に、この夏5年ぶりくらいに再会した。
今が一番幸せ、とA子。
毎日、ヨガやテニス、バドミントンと忙しくしているとのこと。
そして、自分はDr.ストップがかかり運動できなくなったことを伝えると、ストレスなんじゃない?と心配してくれた。
私も体調を崩すまでは運動がストレス解消だったことをA子は知っていた。
週に2回のバルーンバレーと週に1回のヨガ、そして、たま~にチョコザップ。
だが、4月下旬に41度の高熱を出してから「しばらく運動禁止」とDr.に言われ、軽~くチョコザップに行くくらいとなっていた。
6月に入り、だいぶ調子が戻ってきた!と感じ始めたころ、支援している子の要求をのみ、全速力で運動場を走ってしまった。
そして、また、倦怠感が抜けない日々に舞い戻ってしまった。
そしてとうとう「心拍数130超える無酸素運動は禁止!」とDr.に言われてしまったのだった。
もう、バルーンバレーは無理だろうな、と思った。
それについて、自分でも意外なほどその事実をすんなり受け入れることができた。
シェーグレン症候群と診断された約1年前、規則正しい生活を、とか、無理しないように、とか言われたけど、私は病気でも動ける間は動こうと決めて運動したし、酒も好きなだけ飲んでいる。
健康維持のためにいろいろ我慢するより、好きなことをできる範囲でめいっぱいやっておこう!そんな思いで行動していた。
だからだと思う。悔いはない。
バルーンバレーに充てていた時間を今後はどう使おうか、新たな趣味を見つけようと思う。
友達がいない
私には友達がいない
子どものころ「友達」と思ってきた人に裏切られた経験から
親しくなっても「友達」と呼びたくない、と思ってしまうのだろう。
しんどいと思った1度目は中1の時。
中学生になり、小5、小6と3人で仲良くしていたうちの一人であるAさんと一緒に通学していたが、ある日突然一緒には帰らない、と宣言されてしまった。
独りぼっちになってしまった登下校。
クラス内でも、気が付くとなんとなく居心地が悪くなっていた。
「夜のクラゲは泳げない」というアニメで、クラスで浮いちゃう子がいた。
それに自分が重なった。
自分は何にも変わってない、今まで通りにしているのになんか周りと合ってない、
その時は気づいてなくて、ずっとそのままの私で過ごしていた。
中学時代は暗黒すぎてあまり記憶がない。
「死んだらだれか悲しんでくれるかな?」と考えたのも中学の時。
今となってはあの時死ななくてよかったと思っている。
高校生活はちょっと変えてみた。
しゃしゃり出る性格だったが、待つようにしてみた。
おかげさまで「友達」に恵まれた高校生活が始まった。
でも、やっぱり、うまくいかないことが起きた。
まずは高1の後半。
私は、誰かと固定的に一緒にることを好まなかった。
過去の苦い経験がそうさせたのかもしれない。
なのに、Bさんは「ヒロが一緒にいてくれない」と言ってたよ、
と、Bさん本人からではなく別の子から聞かされた。
自由を愛する性格なので、Bさんのことが面倒になってしまった。
Bさんとは2年生でクラスが分かれたので自然に会うこともなくなった。
次に高2の終わり、自分はそんなつもりないのに「上から目線」と言われ絶好された。
一緒にいて居心地がいい友人の一人だったのでショックだった。
短大に入り、すぐに一緒にいてくれる人たちができた。
教員養成系の短大だったので、イイ人しかいなかった。
私はその中で異端児で、授業もよくさぼった。
あと1回休むと単位を落とす、という授業に、ぎりぎりの遅刻で入室したときは拍手が起きた。
そんないい人たちの集まりだった。
でも、1年の時一緒だった人とは2年生では一緒にいなかった。
たぶん、嫌われた。
はっきり言われたわけではないけど、なんとなく別の子といるようになった。
社会人になっても、長続きしている「友達」はいない。
職や住む場所を変えてきたことも影響していると思う。
なんとなく、そのときそのときで「仲間」はいる。
職場の仲間、趣味の仲間、学びの仲間、ボランティア仲間、市民活動仲間、など。
最近も、職場で仲良くなった校長先生とランチに行った。
少し前には日本酒仲間とおいしい料理と日本酒を楽しんだ。
私の結論。
「友達」と呼べる人がいなくても人生何とかなる、楽しめる。
一人になりたいときは一人で
誰かと話したいときは誰かを誘ってみる
そうやって、「友達」がいない人生の残りを過ごすんだろうと思う。
それに、私にはありがたいことに人生のパートナーがいる。
パートナーは、いろんな役をやってくれている。
夫だけど、友達みたいだったり、兄弟みたいだったり、親みたいだったり。
夫には感謝しかない。
せっかく会えている今こそ、感謝を伝えよう、普段一緒に過ごせていないから
そんなことをふと思った。