幼稚園を遅刻
基本的に時間を守るのが苦手。
幼稚園児の時は遅刻魔だった。
幼稚園は歩いて登園、今のように大人の姿はなく、子ども達だけで通園していた。
私が登園するころはだれ一人歩いていない。そう、私はほぼ毎日遅刻していたからだ。
ある日、しびれを切らした担任が、「なんでヒロちゃんはこんなに遅いんですか?」と怒り口調で聞いていきた。
「テレビ見てた。」と平然と、いや、テレビ見てから幼稚園来て何が悪いんですか?と言わんばかりの返答をしたところ、担任の先生にあきれられてしまい、聞かれたのはこの一度だけ。
母は私が言うことを聞かない子とあきらめていたのか、早く行けと言われた記憶はないけれど、もしかしたらその言葉が耳に入っていなかっただけかもとも思う。
小学校からもず~っと
小学校で分団登校していた時も、集合場所には走り込みセーフで到着すること多々。
こんな滑り込みセーフは中学、高校、短大へと続く。
高校では、8時半に校門が生徒指導の怖めの教員により、ガシャーン!と閉められる。
もちろんこれに遭遇したことがあり、あれに挟まれたら痛いな、なんてことを考えていた。
短大は2時間かけて通学していたが、直線距離だと車で30分程度の場所だった。
遅刻魔の私は、もう今日遅刻すると単位がやばい、と言う日、いつも通り通学すると遅刻と困った末、弟のスポーツチャリで行くことにし、見事遅刻を免れた。
なんと、自転車だと1時間で行けた。
卒論提出も提出日まで仕上がらなかった上、風邪をひいていた。風邪でしんどいので、いたしかたなくタクシーで短大へ。あのころはまだそれほどタクシー代も高くなく、3000円程度ですんだが、貧乏短大生には痛い出費。
とはいえ、卒業旅行もあきらめていてお金に余裕があったので、留年するよりは安いと考えた。
社会人になっても
遅刻魔傾向は社会人になっても続いた。
短大卒業し、教員になり、自転車で通勤していた。
お金と時間がなく、車の免許を持っていなかったからだった。
自分が中学時代に通った通学路を今度は通勤路として自転車で通る。
慣れた道なのですいすい行き、時には中学生をごぼう抜きしていた。
通報されてもおかしくない荒い自転車運転だったと思う。
その理由はもちろん遅刻しそうだから。
ある日は始業3分前に職員室に息を切らせて入室。
あんなころは朝の職員会議が毎日あり、私が息を切らせて入ってくるところを全教職員が目にした。
あれはかなり恥ずかしく、学年の先生が「滑り込みセーフだね」と苦笑いで言ったことを今も覚えている。
そもそも、あんなころは若手の先生は始業30分前には学校に来て、先生方の机を拭き、全職員のお茶を入れていたのだった。
私が赴任した学校は新任が私を含め4人いて、いつも3人でそれをやってくれていた。
私はこれに対しちっとも申し訳ないと思っていなかった。
やりたい人がやればいい、そんな考えだったからだ。
では、私は1度も机拭きお茶入れをしなかったかと言えば、そうではなく、雨の日は母に車で送ってもらうので早く到着し、他の3人と一緒にやっていた。
とここまで書いて思ったのだが、「そもそも」~「やっていた」までは、時間が守れない話からずれている。こういったところが思考の多動かな?って思うわけです…
で、話戻し、
わけあって教員をやめ、次に就いた職では、バスで通勤。やっぱり滑り込みセーフな日々だった。といった感じで続いていった…
最近ちょっといいかも
時間守れるようになってきたかも?と思えるようになったのは、実はごく最近。
半世紀を過ぎてからなのだ。
朝は、出たい時間の1時間前に起きれば間に合うことに最近気づいた。
それまでは30分から40分前に起きていた。その理由は朝が苦手だから。朝が苦手については、別のブログに記そうと思う。
話を戻し、朝以外、仕事以外だと遅刻しそうになることしばしばだ。
会議のためだけに出勤というときは、何時に家を出るか決められなかったり、うっかり時間を間違えたり。
ある会議には、30分早く着いてよかった、と思っていたら、ちょうど開始時間だった、ということに5分近く過ぎてから気づいて青ざめた。
すぐに会議室へ行くと、教頭先生が「私が開始時間を伝え間違えてしまったようです。」と言ってくれた時には涙が出そうにうれしかった。
こうやって守ってもらえる今の仕事は今の私にとってベストなんだと思える。
時間が守れない自分と共存
振り返って思うのは、幼稚園は遅刻してたけど、小学校以降は遅刻しそうが続き、今はしそうな日も減っている、ということは、私なりに成長してるってことだ!
そして、仕事以外の遅刻は、「ごめんなさい」が言えたらOKと自分を許すことにした。
相手に失礼と言うことは重々わかっている。でも、なぜか時間配分がうまくいかなかったり、出かける間際に何か思い出して出発時間が遅れたりと、なんだかうまくいかない。
できない自分もしょうがないといい意味であきらめることも、自分の特性と共存していくために必要と思うようにしたら、ちょっと楽になった。