ADHD&シェーグレン症候群ですが支援者です

障害&難病持ちの日常のふりかえりのひとりごと

シェーグレン症候群は母のせい(私の私見)

弟からLINE通話がきた。

母(以下A子)のことでだ。

 

過日、叔父が亡くなり、

私と私の弟二人とで車に乗っていた際、

私はA子へ直接不満をぶちまけた。

何をかというと、私の娘二人がそれぞれ、

それぞれの家族でA子のところへ行くことについてだ。

 

そもそもA子は自閉症傾向で、一人でいることを好み、

コロナ禍はコロナを盾に一切訪問してくれるなと言ってきた。

それはまあ受け入れるしかないと思いつつも、

せめて父の命日くらいは手を合わせに行きたいと言ったのだが拒否。

これに関しても、まあ許せる範囲。

気分を害するのは自分だけだから。

 

ただ、今回は娘たちに害があった。

最初は泊って良いと言っていたくせに、予定していた日の約2か月前になり、

やっぱり泊りは無理、と言ってきたそうなのだ。

娘二人とも困ったということを私に伝えてきた。

泊る予定だった日は8月だったため、適当な宿がみつからないようなのだ。

特に次女は赤ちゃんがいるので泊れるところが限られる。

それなのに、そういった相手の事情を慮ることなく行動するA子。

さすがに私は堪忍袋の緒が切れて車内でこの話を持ち出し、

二度と娘たちに害のないようにと釘を刺したかった。

 

が、A子は口論の末、

「私が早く死ねばいいんでしょ!」

と飛躍したキレ方をした。

このときはこちらもキレていたので

A子の馬鹿さ加減に言葉にならず無言になった。

そして、落ち着いてから、

A子は認知症が始まって極端なキレ具合だったのか?と思い、

認知症チェックを弟に頼んでおいたのだ。

その結果をLINEしてきたのだった。

 

弟は、たぶん大丈夫、と言っていた。

とすると、老化由来か。

そもそもA子はいろいろな能力が低い上、向上心がない。

となると、いろんな力は下がる一方。

特に自分を客観視できないところはひどくて、

A子のひいきはあからさまなのに、自分はひいきはしていないと言い張る。

私の子ども達から見ても明らかなのに、である。

 

私はA子から身体的心理的虐待を受け、ヤングケアラーでもあった。

故に、A子のことが許せない思いが強い。

とはいえ、いろいろ助けてもらった部分もあるので、

金銭的にいろいろ返してきた。

が、もうそれもしたくない、と思った。

 

この思いを娘に話すと

「もういいんじゃない?母はいろいろやってきたのだから。」

と言ってくれた。

自分が子ども時代に過ごした家族は嫌い。

次男の方の弟がちょっとましってくらい。

だけど、自分が作ってきた家族は、みんな優しい。

ありがたいな、って思う。

 

弟は、血がつながった家族なんだから、と、べたなセリフを吐いてくる。

私は「産んでくれと頼んだ覚えはない」と言う考えで、

これは、高校生の時A子と喧嘩になった時に吐いて以来変わっていない。

生まれちゃったからしょうがない、できるだけ心地よく生きてやろう、

そう思っている。

だから、けっこう好きなように生きてきたし、

願いをかなえてきた人生だった。

なので少し前まではいつ死んでもいいかな、なんて思っていた。

 

でも、孫が生まれて変わった。

生きることに欲が出たのは生まれて初めてかもしれない。

孫が成人するまでは生きていたい、強く思うようになった。

すると、いつ死んでもいいどころか、まだまだ死にたくない、

と思うようになった。

それなのに、「シェーグレン症候群」と診断されてしまった。

長生きはできませんよ、と烙印を押された気持ちになっている。

それもこれもA子のせいと私は考える。

乳幼児期の虐待体験は、いろいろな病気になる確率を高めていることが

最近の医学研究で明らかになっているのだから。

 

A子には恨みつらみしかない。

血のつながった家族を恨まなければならないこの辛さ、

だれがわかってくれるのだろう。

つらいならA子を許せばいいといわれるのかもしれない。

もう、それもさんざんやってきた。

許そうとしても、許せないくなるような行動をA子がとる、というのが私の捉えだ。

 

ここまで言語化して思った。

恨む自分を許すしかない。

そんな自分でもいいんだよ、

と、自分で自分をゆるすしか、ないの、かも。