視覚情報が優位な私は、目に入ると即行動してしまったり、思考を巡らせたりしてしまう。
思考の多動は私の良さでもあり疲れさせる原因でもある。
次々にいろいろ考えが思いが出てくるので、会話の途中話がずれて、あれ?もともと何話そうとしてたんだっけ?となること多々。
行動面では、例えば、2階に何か物を取りに行き、行くとほかのことが目について取りに行ったものを忘れて1階に戻る、なんてことも多々ある。
視覚情報から過去が想起されることもある。
毎日同じ通勤路なのに、想起されるときとそうでないときがある。その違いはなんなのだろう。
と、考えたところで沼にはまっていきそうなので考えないことにした。
この、考えないことにする、と決めることも対処法としては良い、ということに気づいた。
最近は、見ないようにする、も、できつつある。
これは言い換えれば「受け流す」ができるようになったとも言える。
考えちゃった、けど、その先考えるのはやめよう、とか、
目に入っちゃった、けど、もうこれ以上注視するのはやめよう、とか。
自分で自分の行動を止める、が、以前は全くと言っていいほどできていなかった。
少しずつできるようになって、よし、って思っている。
なりたい自分を思い描きながら生活すると変化できる、を体験している。
ある日、バスの中でことっと何かが落ちる音がした。
音のした方に目をやると、交通系ICカードとおぼしきものが裏返って落ちているのが目に入ってしまった。
以前の私は考えるより先に「これ誰のですか?」と声をあげていた。
とりあえず、それを見ないようにしてみた。
でも、やっぱり気になる。でも、そのカードに誰か反応しないかな?っと待ってみることにした。
しばらくしてバスに人が乗ってきたけどその人も無反応。
結局、カードを挟んで両方の席に人がいたのだけど、年配の方かなと思い、「これ、違いますか?」と声をかけた。
すると、まさかの声をかけなかった方が「私のかも!」と言い出し、でも、年配の方が「私のです、ありがとうございます。」とカードを拾い上げて収拾した。
私のかも!と言った方は何事もなかったように足早にバスを降りて行った。
きっと、私と同じ系統の方なんだろうな、と心の中でニヤッとしていた。