ADHD&シェーグレン症候群ですが支援者です

障害&難病持ちの日常のふりかえりのひとりごと

思考の多動

女性の多動は行動ではなく思考

ADHDのざっくりした特徴は、注意欠如・多動だ。

多動は、男子は低学年時席に座っていられず立ち歩くなど、特性が見えやすい。

一方、女子の場合、「思考が多動」というのもあるということを本で知った。

たぶん、6年位前だと思うが、私の住む自治体の女性会館内の図書館に発達障害関連書籍コーナーがたまたま設置されていたのが目に入り、数冊借りて読み、知ったのだった。

幼稚園時代

思考の多動に思い当たる節がある。

思えば幼稚園に通っていた時、先生が「あか、あお、きいろを使っておえかきしましょう」と言ったそのとき、私は信号を思い浮かべ、赤と緑と黄いろを使って絵を描いたのだった。

もちろん「青」ではなく「緑」を使ったのは私一人。

一般的な幼稚園児は、「赤」「青」「黄色」を文字通り何も言考えず素直に受けとるが、思考の多動がある私は、単純に取らず自分なりの思考を挟み、「信号の赤・あお・黄色」になってしまったんだと思う。

また、芋ほり遠足に行った時のこと。

先生が「おいも持って!」」と厳しめの口調で言ってきた。

え?おいも持つってどうやって?と私は疑問に思ったのだ。

幼稚園児の場合、前述した「あか・あお・きいろ」のように言われたらそのままを素直に受け入れるのかもだが、私の場合、疑問を持ってしまうのだ。

疑問を持つと言えば、年長の終わりごろ、小学生になったらお友達を~ちゃんって呼んでいいのか?~さんって呼ばなきゃか?できるかな?できないと怒られるのかな?と、一人、小学校のある方を見ながら、幼稚園の敷地を囲む黄緑色の金網をつかみながら悩んだことを今でも鮮明に覚えている。

暇だから考えすぎる?

小学生以降の子ども時代は、思考の多動とつながる具体的なエピソードは思い出せないが、結婚後はいくつかある。

なぜそこに気づいたかと言えば、何か悩み事を夫に話すと、必ず返ってくる言葉が「考えすぎ」だったからだ。

夫には「考える時間があるから考えすぎるんじゃない?」と言われていたので、なるほどと思いできるだけ忙しくしようと試みたこともあった。

しかし、忙しくしてもやはり考えている自分に気づいたのは、だいぶ遅くて今の仕事を始めてから。

職場に向かう道中が長すぎて疲れる、と思っていたのが、運転中ずっと考え事をしているから疲れが倍増していることに気づいたのだ。

運転中は暇と言えば暇だが、適度に運転に集中する必要があり、時間があるから考えているわけではない。

気が付くと、運転しながらいろいろ考えすぎている自分に気づき、「いかん、いかん」と自ら思考を停止するようにしている。

思考停止を忘れて、バイパスの降りるべきところを過ぎてしまったことも何度かあるし、高速も分岐を過ぎてしまったことがある。

思考の多動が日常生活に支障をきたしている。

服薬を勧められたけど

受診時、日常の困り感しか話さないせいだと思われるが、服薬を勧められた。

でも、断ってしまった。

というのは、思考の多動は仕事上では役に立っているからだ。

私の仕事は、情報収集し、アセスメントし、支援方法を考えること。

思考することは必須である。

薬を飲んでしまうと、仕事上今までできていたことができなくなりそうだし、自分を否定する気がしてしまう。

対処法を見つけながら

今後、命にかかわるような何かが起きたら、その時は服薬を考えようと思う。

そうでなければ、その都度対応を考えて次に備える、で、対処していきたい。

自分一人で答えが出ないときは、発達障害者支援センター(以下センター)へ行って相談にのってもらっている。

また、最近はコーチングを学んでいるので、コーチングの練習時に対処方法を考えている。

センターでの面談では出てこなさそうな対処法が見つかり、私にとっては有益だ。

もしかしたら、特性のある方にコーチングは有効かもしれない。

ちなみに、バイパスで降り忘れがないよう、降りるインターの一つ前のインターを過ぎたら考え事をやめ、意識を「降りる」に向けるようにしている。

それでも時々思考が止められず降り忘れてしまうが、「ま、いいか、死ぬわけじゃないし」と、できなくても落ち込まないようにしている。

こういった、マイナスに捉えないこと、も、生きづらさ軽減に関連していると思う。