疲れやすい
とにかく疲れやすい。
ADHDの特性からか、いろんな情報を拾いすぎているのかもしれない。
また、とにかく思考が止まらない。
いつも何かしら言葉や文章が脳内で流れている。
歩いているとき無意識に歩数を数えていることもある。
数を覚えたてで思わず数えちゃう幼稚園児のよう。
が、私はもう半世紀をいきたおばさんだ。
先日も、朝ゴミ出しに歩き始めたら数を数え始めていた。
100近い数まで到達したころ自分の無意識の行動が意識に上り、何やってんだ?となり数えるのをやめることができる。
人と同じにできない
人より早く疲れてしまって辛かったことがいくつか思い出される。
一番昔は中学の部活の時。
合トレといって、すべての運動部が合同でトレーニングをした。
運動場を何周も走っているうちに、もう無理、と、トイレで吐いた。
まだみんな走ってる、なのに自分はいち早く脱落した。
本当に気持ちが悪くて走れなくてトイレでおえおえしていた。
でも、空腹だったため何も出てこない。
怠けてるって、演技だって、さぼってるって思われてるかも、本当は皆と同じことがしたい、一緒に走りたい、その思いはある、でも、できなかった、悔しかった。
二つ目は自分が教員になり遠足の下見に行った時のこと。
私はその時24歳。一緒に行った先生二人はアラフォーだった。
二人は山道をずんずん登っていくが、私ははあはあ息を切らす。
大丈夫?と心配されながら進んだ私。
下見の言葉通り、下を見て歩くことだけで精いっぱいだった。
このときも情けない気持ちでいっぱいになった。
三つ目、40代半ば、バドミントン合宿をして夜は宴会をしていたときのこと。
バドミントン合宿なので、昼間はバドミントンを楽しんだ。
その夜、皆は夜の部と称して宴会を始めた。
しばらくすると、疲れた体にアルコールが悪さをしたのか頭痛にみまわれた。
起きていたい気持ちが強くて我慢していたけど限界を迎え、私は早々と寝てしまったのだった。
普段遠くに住む仲間との久々の再会でもあったのに、起きていたかったのに、語り明かしたかったのに、無念だった。
できないからできることを
したいのにできない。
この辛さ、わかってもらえている気がしない。
したいならすればいい、それが一般的な考えなのだろう。
でも、したくてもできないってあると言いたい。
どうしたらわかってもらえるんだろう。
アスリート選手がオリンピック目指してもすべての選手がそうなれないのと同じです、と言えば理解されるのか?
次元が違う、と言われそうだが、私にとってはそういった感じなのだ。
そのせいで、私は今も教員をやりたいができない。
教員になったら休職に追い込まれる自信がある。
だから、自分ができないことをやっている先生たちを応援したいし、バックアップしたい。
バックアップされていると感じさせないように、さりげなく。
あたかも自分の力でやれているような、そんな支援が私の理想だ。